手塚治虫が嫉妬した漫画家:確かめられるのは5件
手塚治虫が嫉妬したり対抗心を燃やしたりした話のうち、本人が書いた文章か、当事者・同席者の証言で確かめられるのは次の5件です。
| 相手 | いつ | 何があったか | 確かめられる記録 |
|---|---|---|---|
| 福井英一 | 1953〜54年 | 『イガグリくん』を悪い例のように描き、本人に詰め寄られて謝った | 手塚の自伝 |
| 劇画 | 1950年代末〜60年代 | 流行にノイローゼになり、階段から転げ落ちた | 手塚のエッセイ |
| 水木しげる | 1960年代後半 | 妖怪ブームに乗って『どろろ』を描いた。水木は手塚の敵意を感じていた | 手塚のあとがき、水木側の伝記と自伝 |
| 石ノ森章太郎 | 1967年〜 | 『ジュン』をけなし、あとで謝りに行った | 石ノ森の著書、手塚番の編集者の証言 |
| 大友克洋 | 石坂啓のデビュー後 | 絵をほめたあとで「僕もあの絵は描ける」と言った | 同席した石坂啓の証言 |
5件のうち4件は、相手が手塚の描かないものを持っていた件です。福井英一の勢いのある筆、劇画の大人向けのリアルさ、台詞をほとんど使わない『ジュン』、狂いのない大友克洋のデッサン。水木しげるの件だけは、表現より人気(妖怪ブーム)への対抗でした。
本人が自分で嫉妬を認めて書き残しているのは、福井英一の件です。
元アシスタントの漫画家・池原しげとは、手塚治虫の公式サイトのインタビューで「手塚先生が本気で嫉妬したのは石ノ森章太郎先生と大友克洋先生くらいじゃないでしょうか」と話しています。ほかの漫画家は「ほとんど気にしていないと思いますよ。僕の見た限りではね」とも言っていて、手塚が誰にでも噛みついていたわけではなかったようです。
鳥山明や水島新司に嫉妬の言葉をかけた話は、出回っている量のわりに一次資料が見つかりません。こうした噂は記事の後半でまとめて扱います。
福井英一『イガグリくん』
福井英一は、柔道漫画『イガグリくん』(『冒険王』連載)で1950年代前半に少年たちの人気を集めた漫画家です。公式サイトのコラムは、手塚が『イガグリくん』に「しまった!やられた!」と舌を巻いたと紹介しています。
何があったか
手塚は雑誌『漫画少年』で、漫画の描き方を教える連載「漫画教室」を持っていました。その中で、ストーリー漫画の悪い例として『イガグリくん』を思わせる絵を描きます。
これを読んだ福井は怒り、手塚のところへ来て謝罪を求めました。手塚の自伝では、福井は1人で来て、そこへ漫画家仲間の馬場のぼるがふらりと現れたことになっています。元アシスタントの福元一義やアニメ制作者のうしおそうじは、福井が馬場を連れて来たと書いています。手塚は初め、架空の漫画だと言い逃れようとしたものの、結局は認めて頭を下げたそうです。
手塚は自伝『ぼくはマンガ家』(大和書房、1979年)でこの件を振り返り、福井の筆の勢いをうらやんでいたと認めています。
福井の死
福井英一は1954年6月26日、33歳で急死しました。過労が原因とされています。手塚は自伝で、日に日にやつれていく福井の顔を「ゴッホの肖像」のようだったと回想しています。
福井のほうも手塚を意識していました。公式サイトのコラムによると、福井の死後、漫画家の山根一二三は手塚に「あいつは俺にいつも手塚がライバルだと言ってたぜ」と伝え、福井の家には手塚の本が全部そろっていたと話したそうです。
この件は、手塚が嫉妬を自分で認めた話で、謝った相手はその翌年に亡くなっています。いまは笑い話として語られる大友克洋の件とは、手塚の書きぶりがまるで違います。
劇画の流行
相手が1人の漫画家ではなく、劇画という表現そのものだった件です。劇画は、社会の暗い面をリアルな絵で描く大人向けの漫画で、1950年代末に辰巳ヨシヒロが名付けました。さいとう・たかをや佐藤まさあきが描き手として知られています。
階段から転げ落ちた
手塚はこの時期のことを自分で書いています。公式サイトのコラムが講談社版全集の『手塚治虫エッセイ集1』から引いている文章はこうです。
劇画が貸本屋に溢れだし、ぼくの家の助手たちまでが二十冊も三十冊も劇画を借りてくるようになったとあっては、ぼくも心中おだやかでない。ついにぼくはノイローゼの極みに達し、ある日、二階から階段を転げ落ちた
自分の仕事場のアシスタントまでが劇画を読みふけっていたのが、こたえたようです。
劇画をまねて、3本でやめた
手塚は1959年、貸本向けの劇画誌『X』に劇画を意識した短編『刹那』『落盤』『花とあらくれ』を描きました。ただ、この路線は3本で終わります。公式サイトのコラムは、ライバルの表現をまねても追い越せないと手塚が早くに悟ったのだろう、と書いています。
手塚眞(手塚治虫の長男)は浦沢直樹との対談で、『落盤』を例に「実は劇画なんて僕はかけるんです!って言っていたのも本当で」と話しています。描けなかったのではなく、描いても勝てないと見切った、というのが近いようです。
悪役の魅力で応えた
1965年ごろの手塚には、自分の漫画が飽きられてきているという危機感がありました。公式サイトのコラムによると、手塚は劇画に対抗するには「魅力ある悪」が要ると考えました。そこから『バンパイヤ』(1966年)、『どろろ』(1967年)、のちの『ブラック・ジャック』(1973年)と、影のある主人公や悪役の作品を描くようになります。
1968年に青年漫画誌『ビッグコミック』などが創刊されると、手塚も大人向けの連載を始めました。公式サイトのコラムは『地球を呑む』『人間昆虫記』『MW』などを挙げています。手塚は劇画への嫉妬をきっかけに、大人向けの作品まで手を広げたことになります。
この系統の作品のうち、どれが読んでいて重いかは手塚治虫の怖い作品はどれかで順位を付けています。
水木しげると妖怪ブーム
水木しげるの件は、手塚の側の記録と水木の側の記録で、受け取り方がずいぶん違います。
手塚の側の記録
手塚は『どろろ』の単行本のあとがきで、この作品を「水木しげる氏の一連の妖怪もののヒットと、それに続く妖怪ものブームにあやかって(?)作り上げた、いうなれば、きわもの」と書いています。水木の妖怪漫画を意識して描いたことは、本人が認めているわけです。
ただし時期には注意がいります。『どろろ』の連載は1967年8月に『週刊少年サンデー』で始まりました。公式サイトのコラムによると、妖怪ブームが本格的になったのは『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメが始まった1968年1月で、『どろろ』のほうが先です。手塚が意識したのは、テレビアニメになる前から『週刊少年マガジン』で人気を集めていた水木の漫画のほうだったと考えられます。
『どろろ』がアニメでどう変わったかは、どろろのアニメは原作とどこが違うかで比べています。
水木の側の記録
水木の側には、手塚から敵意を向けられたという記録があります。立教大学の研究紀要に載った乾英治郎の論文(2018年)が、水木の伝記と自伝から次の話を引いています。
- 水木が講談社の漫画賞を受けたときのパーティーで、手塚の表情は硬く、態度は冷たかった。水木は、手塚が初めて会ったときから敵意を持っていると感じた(足立倫行『妖怪と歩く』文藝春秋、1994年)
- 水木が宝塚の遊園地で鬼太郎のお化け大会を開いたとき、手塚は「私の故郷ですよ!」と怒った。水木は「でもそんなこと言われてもね、私だって困ります」と話している(同書)
- 水木は1969年、手塚をモデルにした短編「一番病」を『ビッグコミック』に描いた。棺桶職人の主人公が何でも一番でないと気が済まない男で、モデルが手塚だと水木自身が自伝で明かしている
一方で水木は、自伝『水木サンの幸福論』(日本経済新聞社、2004年)では「けっして仲が悪かったわけではないが、お互いに敬して遠ざける気配があった」と書いています。仲が悪かったとまでは言わず、距離を置き合っていた、という受け止めです。
「あなたの漫画くらい僕はいつでも描ける」という台詞
手塚が水木に「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と言った、という話がよく出回っています。上の乾英治郎の論文は、この台詞の参照元として2012年の2ちゃんねるの書き込みを挙げ、「ネットに流布している有名な『伝説』」と呼んでいます。そのうえで、水木の伝記にある授賞パーティーや宝塚の件のほうが実際に近い、という書き方をしています。
手塚が水木を意識していたこと、水木が手塚の敵意を感じていたことは、どちらも本人の側の記録で確かめられます。ただ、有名な台詞のほうは水木の伝記にも自伝にも出てきません。出どころとして見つかるのは掲示板の書き込みだけなので、事実としては扱えません。
石ノ森章太郎『ジュン』
石ノ森章太郎は、中学生のころから手塚にファンレターを送り、高校時代には手塚のアシスタントも務めた後輩です。その後輩の作品を、手塚はけなしてしまいました。
何があったか
『ジュン』は、石ノ森が1967年から手塚の虫プロ商事の雑誌『COM』に連載した漫画です。台詞をほとんど使わず、絵とコマの流れで少年の心の中を描きました。同じ雑誌には手塚の『火の鳥』も連載されていました。
石ノ森の著書『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(NTT出版、1999年)によると、『ジュン』のファンが手塚に手紙を送ったところ、手塚の返事に『ジュン』をけなす言葉が書かれていました。そのファンが返事を石ノ森のもとへ送ってきたことで、石ノ森は手塚の本心を知ります。
手紙には「あんなものマンガじゃありません」と書かれていたそうです。小学館の編集者で手塚番だった中村一彦は、週刊読書人ウェブの連載(2018年)で、別の場面を証言しています。編集者が『ジュン』をほめたのに手塚が腹を立て、『COM』の編集長に電話して連載をやめるよう命じた、というものです。
その後、手塚は石ノ森を訪ね、「自分でもどうしてあんなことをしたのかわからない、自分で自分がイヤになる」と謝ったと、同じ中村が伝えています。『ジュン』の連載は止まらず、1971年まで続きました(1969年までとする資料もあります)。
なぜ石ノ森だったのか
池原しげとは、手塚が石ノ森に嫉妬した理由を「石ノ森章太郎っぽい漫画で勝てる自信はなかったかもしれない」と推し量っています。台詞に頼らずに絵で語る『ジュン』は、ストーリーと台詞で読ませる手塚の漫画とは正反対の作り方でした。しかもそれが、自分の雑誌の中で評判になっていたのです。
けなした手紙が本人に届き、手塚が自分から謝りに行った、という流れはこの件だけです。
大友克洋への嫉妬「僕もあの絵は描ける」
5件の中でいちばん有名で、いちばん誤解されている話です。
何があったか
手塚の元アシスタントで漫画家の石坂啓が、公式サイトのインタビュー(2024年)でこの場面を話しています。手塚のイベントに色紙を寄せた新人漫画家10人ほどへのお礼に、手塚が夕食をごちそうした席で、大友克洋にこう言ったそうです。
あなたが大友さんですか。僕、あなたの絵を見たけど、上手いねえ
虫眼鏡で見たけど、ひとつもデッサンが狂っていないね
そのあとに続けたのが、例の言葉です。
でもね。僕もあの絵は描けるんです。描こうと思えば、誰の絵でも描けるんです
その席には大友、石坂のほか、吾妻ひでお、いしかわじゅん、御厨さと美らがいました。
ほめ言葉が先にあった
この話は「君の絵なら描ける」の一言だけが切り取られて広まっています。実際には、手塚はまず大友の絵を虫眼鏡で見るほど読み込み、デッサンの正確さをほめていました。そのうえで負けん気を見せた、というのが同席者の伝える場面です。
石坂は、この話を人に話して広めたのは「おそらく犯人は私よね(笑)」と言い、いまでは手塚の負けず嫌いを表す笑い話になっている、と話しています。
浦沢直樹も手塚眞との対談で「『大友君、君の絵は描けるよ』って言ったのも、本当に描けたんだと思うんですよね」と話していて、負け惜しみとは受け取っていません。
白土三平『カムイ伝』(研究者の見立て)
『カムイ伝』は、白土三平が1964年から『ガロ』に連載した大長編です。漫画研究者の竹内オサムは、この作品が雑誌で毎回100ページほど連載されていたことに手塚が相当嫉妬した、と書いています(PRESIDENT Online、2020年)。竹内は、手塚が数年後に悩んだすえ発表した『火の鳥』を「カムイ伝をかなり意識した作品」と見ています。
『火の鳥』そのものは1954年から描かれていたので、ここで言う『火の鳥』は、1967年からの『COM』での連載を指すと読むのが自然です。
時期は合いますが、手塚自身の記録が無いので、5件と同じ扱いにはできません。『火の鳥』をどの編から読めばいいかは火の鳥を読む順番にまとめています。
出どころが確かめられない嫉妬話
次の話は、まとめサイトやSNSでよく見かけますが、本人や当事者の記録にたどり着けません。
| 話 | 判定 | 理由 |
|---|---|---|
| 水木しげるに「あなたの漫画くらい僕はいつでも描ける」と言った | 確認できない | 研究論文が参照元に挙げているのは2012年の掲示板の書き込み。水木の伝記・自伝には出てこない |
| 鳥山明を見て「すごい新人が出てきた、勝てない」と言った | 確認できない | いつ・どこで・誰の前で言ったかの記録がない |
| 水島新司に「君は野球漫画だけ描いていればいいからいいね」と言った | 確認できない | 同上 |
| 石ノ森の『仮面ライダー』の原稿を破り捨てた | 確認できない | 石ノ森本人の記録にあるのは『ジュン』の件だけ |
| 『巨人の星』のどこが面白いのかアシスタントに聞いた | 確認できない | 研究論文も「伝説」として触れるだけで、出典は示されていない |
大友克洋の件がそうだったように、同席者の証言が後から出てくることはあります。それまでは事実として扱えない、というのがここでの判定です。
嫉妬の話から手塚作品を読むなら
相手ごとに対応する作品は次のとおりです。
- 劇画への対抗:『バンパイヤ』『どろろ』『ブラック・ジャック』、大人向けなら『人間昆虫記』『MW』
- 水木しげると妖怪ブーム:『どろろ』
- 『カムイ伝』への対抗(研究者の見立て):『火の鳥』
とくに『どろろ』は、劇画と水木しげるの両方を意識して描かれた作品です。手塚は『どろろ』の全集のあとがきで、自分は人一倍負けん気が強いと書いています。ほかの作家がユニークなヒットを飛ばすと、「おれだっておれなりにかけるんだぞ」という気持ちで同じジャンルに手を出す、というのです。その気持ちがいちばん素直に作品に出ているのが『どろろ』です。どの版で読めば全話そろうかは手塚治虫文庫全集と漫画全集の違いで比べています。
手塚の逸話を嫉妬以外も含めて確かめたい人は、手塚治虫の逸話はどこまで本当かで、睡眠時間や最後の言葉など16件を判定しています。
