結論:単行本で読めない3話と、読む方法
『ブラック・ジャック』で、いまどの単行本にも入っていないのは、第28話「指」、第41話「植物人間」、第58話「快楽の座」の3話です。ほかに「封印回」と呼ばれる話は、版を選べば読めます。
3話が外れた事情は同じではありません。「指」は手塚治虫自身が4年後に第227話「刻印」として描き直したので、話の大筋はいまも読めます。脳の手術そのものを扱った「植物人間」と「快楽の座」は、代わりになる話がありません。
| 話 | 掲載号(『週刊少年チャンピオン』) | 単行本 | いま読む方法 |
|---|---|---|---|
| 第28話「指」 | 1974年6月24日号(27号) | 一度も入っていない | 掲載誌。大筋は第227話「刻印」で読める |
| 第41話「植物人間」 | 1974年9月23日号(40号) | 新書版4巻の初期の刷だけ | 掲載誌か、4巻の初期の刷の中古 |
| 第58話「快楽の座」 | 1975年1月20日号(4号) | 一度も入っていない | 掲載誌 |
3話を除いた全話を収めた復刊ドットコムの『ブラック・ジャック大全集』(全15巻)は、商品説明にこう書いています。
こちらの3話につきましては、著作権者である手塚プロダクションの意向により、今後も単行本収録の予定はありません。
公式に示されている理由は「手塚プロダクションの意向」というところまでで、それ以上の説明は見当たりません。
「封印回」「欠番」と呼ばれるほかの話
「ブラックジャック 欠番」で調べると、未収録の話がもっと多くあるように見えます。これは、版ごとに入っていない話が違うためです。第22話「血がとまらない」や第76話「水頭症」のように、いま流通している版には入っていなくても、新書版や大全集には入っている話がいくつもあります。どの話がどの版に入っているかは手塚治虫の封印作品に表でまとめています。
話の番号そのものが抜けているわけでもありません。第28話も第41話も第58話も、雑誌には番号どおりに載っています。「欠番」と呼ばれているのは、単行本に入らなかったこの3話のことです。
第28話「指」
あらすじ
ブラック・ジャックは、旧友のロックこと間久部緑郎(まくべろくろう)に呼び出されます。ロックはいまでは暗黒街の顔役で、インターポールに追われています。生まれつき指が6本ある多指症で、「緑郎」という名もそこから来ていると本人が語ります。6本目の指は、若いころのブラック・ジャックに切ってもらったものでした。
ロックの頼みは、指紋を変えることです。ブラック・ジャックはロックと部下の指を取り替える手術をしますが、帰り道で車を爆破されます。ロックはさらに、指を替えた部下ごとアジトを焼いて証拠を消します。
捕まったロックは顔も指紋も変えていて、警察は本人だと決めきれません。そこへ、死んだはずのブラック・ジャックから、昔切ったロックの6本目の指の標本が届きます。レントゲンで骨の形が一致し、ロックの正体が確定して話は終わります。
「刻印」との違い
1978年8月28日号の「刻印」は、「指」の原稿に手を入れて描き直した話です。Wikipediaによると、元の原稿は描き直しに使われたため、「指」の完全な原稿は残っていないそうです。扉絵も、背景にビルを描き足して流用されています。
大きな違いは、ブラック・ジャックを殺そうとしたのが誰かです。「指」ではロック自身が爆破を命じていて、証拠を消すためだと自分で認めます。「刻印」では部下が勝手にやったことになり、ロックは最後までブラック・ジャックとの友情を信じていた人物として描かれます。
「指」の最後には別れの言葉がありません。ロックの自白が近いことをラジオで聞いたブラック・ジャックは、友だちだったはずの男のことを思いながら招待状を破り、川に流して去ります。
もう一つの違いが、子ども時代の描き方です。「指」には、ロックが6本指のせいでクラスで化け物扱いされていたことや、車椅子に乗っていた少年時代のブラック・ジャックに、自分と同じ境遇の者として近づいたことが描かれています。ブラック・ジャックが体を悪くしていた事情は、ブラックジャックはなぜ無免許なのかで書いた不発弾の事故です。
外された理由
「指」を外した理由について、公式の説明はありません。この話を紹介している個人サイトや愛好家の感想でよく挙げられるのは、多指症を治すべき障害として描き、ロックが化け物扱いされる場面まで描いていたことです。描き直しで消えたのがちょうどその部分なので、筋は通っています。
この話は、読めなくても損の小さい1話です。「刻印」を読めば、ロックとの因縁も指紋の仕掛けも分かります。違うのは後味で、友情を信じた男を描いた「刻印」より、裏切った友人を淡々と告発する「指」のほうが苦い話です。
第41話「植物人間」
あらすじ
フェリーが別の船と衝突して沈み、乗り合わせていたブラック・ジャックと、トッペイという少年とその母親が救命ボートに逃れます。母親は心臓こそ動き出しますが、脳に血が行かなかったために意識が戻らず、人工呼吸器につながれた「植物人間」になります。
医師は、もう考えることも見ることもできないと説明します。ブラック・ジャックは反論し、脳波計に出ないほどわずかでも脳は生きているかもしれないと言い出します。そして、母親とトッペイの脳を電極でつなぐ手術をします。
トッペイは心の中で母親に会い、母親が生きていたことを知ってすがりつきます。最後は、病室を出るブラック・ジャックに、トッペイが自分も医者になって母親を治すと呼びかける場面です。
単行本から消えた経緯
「植物人間」は、少年チャンピオン・コミックス(新書版)第4巻に一度は入りました。4巻は1975年3月に発売されました。1977年頃の刷を最後に、第70話「からだが石に…」(1975年4月28日号)に差し替えられました。体が石のように固くなっていく病気の少年の話で、いまの4巻にはこちらが入っています。
差し替えの理由も、公式には説明されていません。
この話の読みどころ
意識のない人は生きていると言えるのか、という問いを、母と子の話として描いた1話です。脳と脳をつなぐ手術は、医学というよりSFとして読めます。差別的な言葉が話の中心にあるわけでもありません。
作中の医師は、脳波が出ないことを理由に、母親をもう戻らない人として扱います。ブラック・ジャックはそれに最後まで反対します。手塚治虫はこの話で、脳が働いていないように見える人にも意識が残っているかもしれない、という見方を、1974年の少年誌で描いていました。
命をどこで区切るかを患者の家族の側から問う話で、3話の中でいちばん『ブラック・ジャック』らしい1話です。読めないのが惜しいのはこの話です。
第58話「快楽の座」
あらすじ
題材は、スチモシーバーという電子機器です。脳に埋め込み、コンピューターから送る指令で精神の働きを操るものとして描かれています。
部屋にこもってペットのトカゲとばかり遊んでいる、鬱病の少年サブ。鬼頭教授がサブの頭にスチモシーバーを埋め込み、サブはコンピューターの指令で初めて笑います。大人たちが手術の成功を喜んだあと、部屋に戻ったサブは、笑ったままトカゲを床に叩きつけて殺します。笑顔のまま鬼頭教授を刺し、母親にも襲いかかります。
コンピューターを急に止めるとサブはショック死するので、正しく止められるのは鬼頭教授だけです。その教授が重傷で動けず、ブラック・ジャックの出番になります。サブを麻酔で眠らせ、コンピューターに邪魔される前に頭を開いてスチモシーバーを取り出します。
最後にブラック・ジャックが資産家の母親に渡す処方箋は、勉強を押しつけないこと、部屋に閉じ込めないこと、好きな趣味をさせること、将来を無理強いしないこと。凄惨な場面のあとに、ごく当たり前の助言で終わります。
この話の読みどころ
題名の「快楽の座」は、脳の中で電極を差し込むと強い快感が生まれる場所、いわゆる快楽中枢を指しています。雑誌では全ページカラーで載ったとされています。
スチモシーバーは作り話の機械ではありません。スペイン生まれの神経科学者ホセ・デルガードが、脳に埋めた電極を無線で刺激する機器として実際に作っていました。1963年に闘牛の脳に埋め込み、突進してくる牛を無線の信号で止めてみせた実験が知られています。手塚治虫は、当時まだ新しかった現実の技術を、子どもの心を機械で治そうとする大人の話にしました。
3話の中で、いちばん怖いのはこの話です。笑ったまま刃物を振り回す少年の場面は、ほかの封印作品と比べても重い部類に入ります。手塚作品の怖い話をほかにも読みたい人は、手塚治虫の怖い作品はどれかで順位を付けています。
なぜ収録されないのか
理由の公式説明は、先に引いた復刊ドットコムの一文だけです。ここから先は、確かな事実と、見立てを分けて書きます。
確かなこと:1977年のロボトミー抗議
1977年1月1日号の第153話「ある監督の記録」で、手塚治虫は脳性麻痺の患者の脳に電気刺激を与える手術を描き、そこに「ロボトミー」という言葉を使いました。ロボトミーは、脳の一部を切って精神病を治そうとした手術で、重い後遺症を残したことで知られています。
この描写に対し、脳性麻痺の障害者団体とロボトミー被害者の支援団体が「ロボトミーの美化」だと抗議しました。朝日新聞が1977年1月17日の夕刊で報じ、秋田書店と手塚治虫は非を認めて謝罪しました。
この話は単行本に入れるとき、脳の手術を皮膚筋炎という別の病気の手術に描き換え、題名も「フィルムは二つあった」に改めました。
見立て:脳の手術を描き換えられなかった2話
「植物人間」と「快楽の座」には、直接の抗議はありませんでした。それでも外されたのは、2話とも脳の手術そのものが話の中心で、描き換えができなかったからだとみられています。Wikipediaはこの見立てを載せ、詳しい経緯の参照先にジャーナリストの安藤健二の『封印作品の謎』第四章を挙げています。手術を別の病気に置き換えれば成り立った「ある監督の記録」と違い、この2話は置き換えると話が残りません。
この見立てには説得力があります。「植物人間」が4巻から外れた時期が、抗議と同じ1977年頃であることとも合います。ただ、手塚プロダクションがそう認めたわけではありません。
手塚治虫本人は、1979年7月の『手塚治虫ファンクラブ会報』1号で、ロボトミーの件のあと医学的なつじつまを指摘されて描きにくくなった、と語っています(『封印作品の謎』による)。定期連載はその前年の1978年に終わっていました。
3話を読む方法
いま確実なのは、掲載誌の『週刊少年チャンピオン』を読むことです。国立国会図書館は『週刊少年チャンピオン』を1969年から所蔵していて、館内で閲覧できます。利用できるのは満18歳以上で、入館時に利用カードを作ります。来館する前に、国立国会図書館サーチで該当の号があるか確かめてください。古書で掲載号を探すのは、そのあとで十分です。
掲載号は古書でも高値です。「快楽の座」の載った1975年4号には、2025年4月時点で4万円の買取価格を付けている古書店がありました。買取でこの値が付く号なので、古書店で買うときの値段はそれより高いと考えてください。
「植物人間」だけは、新書版4巻の初期の刷を中古で探す手もあります。奥付の発行日が1975年から1977年頃までの刷が目安です。通販で買うなら、刷の情報と目次の写真を出品者に確かめてから選んでください。
電子書籍や新刊で、3話を読む手段はありません。立東舎が2023年と2026年に出した『ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ』の2冊は雑誌掲載時の形を収めた本ですが、公表されている収録内容に3話の名前はありません。復刊ドットコムの商品説明のとおり、今後も単行本に入る予定はないとみておくのが確実です。
3話を除いた全話を読むなら、版の組み合わせが必要です。どの版を何冊買えばよいかは、ブラック・ジャックは何巻?で比べています。講談社の全集2種の違いは手塚治虫文庫全集と漫画全集の違いにまとめました。
まとめ
『ブラック・ジャック』で、いまの単行本で読めないのは「指」「植物人間」「快楽の座」の3話です。
| 話 | 題材 | 代わりになる話 | 判定 |
|---|---|---|---|
| 指 | 多指症の旧友の裏切り | 第227話「刻印」 | 「刻印」で大筋が読める。読めなくても損は小さい |
| 植物人間 | 意識のない母親と脳をつなぐ手術 | なし | 3話でいちばん作品らしい。読めないのが惜しい |
| 快楽の座 | 脳に埋めた機械で心を操る手術 | なし | 3話でいちばん怖い |
「指」は「刻印」で大筋が読めるので、どうしても読みたいのは残りの2話になります。テーマで選ぶなら「植物人間」、怖さで選ぶなら「快楽の座」です。2話とも、国立国会図書館で掲載誌を探すのがいちばんの近道です。
