結論:封印作品のうち、いま新刊で読めないのは4話
「封印作品」として名前が挙がる手塚治虫の作品のうち、いま新刊で出ているどの本を買っても読めないのは、『ブラック・ジャック』の「指」「植物人間」「快楽の座」と、『ライオンブックス』の「泥だらけの行進」の4話です。
「封印作品」と呼ばれてきた作品の大半は、すでに別の版や復刻で読めます。2026年6月に54年ぶりに本になった『ながい窖(あな)』がその代表です。「どの版に入っているか」を知っていれば読める作品のほうが多数派です。
| 作品 | いまの状態 | 読む方法 |
|---|---|---|
| ブラック・ジャック「指」「快楽の座」 | 一度も単行本になっていない | 掲載誌(国立国会図書館で閲覧できる) |
| ブラック・ジャック「植物人間」 | 新書版4巻の初期の刷だけに収録 | その刷の中古か掲載誌 |
| ライオンブックス「泥だらけの行進」 | 一度も単行本になっていない | 掲載誌 |
| ながい窖 | 2026年に復刻 | 法政大学出版局『ながい窖』 |
| 火の鳥・羽衣編と望郷編(COM連載版) | 連載時の形で復刻 | 復刊ドットコム《オリジナル版》(品切れのことがある) |
| ミッドナイトの単行本未収録11話 | 2023年に作品集で収録 | 立東舎『ミッドナイト ロストエピソード』 |
| 新寶島(1947年の初版) | 2009年に復刻 | 小学館クリエイティブ版、手塚治虫文庫全集 |
| ブラック・ジャック「しずむ女」など6話 | 一部の版にだけ収録 | 復刊ドットコム『ブラック・ジャック大全集』(品切れのことがある) |
| 漫画全集で落ちた初期作品 | 文庫全集で収録 | 『手塚治虫漫画全集未収録作品集』全3巻 |
「封印」「未収録」「絶版」の違い
「封印」は、作者や権利を持つ側が意図して再録しないものを言います。理由がはっきり公表されることはほとんどなく、ファンや研究者の推測で語られます。
「未収録」は、単に単行本や全集に入っていない状態です。原稿が失われた、短編で本にまとめる機会がなかった、作者が出来に納得しなかったなど、理由は封印とは限りません。
「絶版」は、本そのものが新刊で手に入らない状態です。作品は別の版で読めることが多く、絶版と封印は分けて考えてください。
読みたい人にとって大事なのは、どの言葉で呼ばれているかより、いまどの本に入っているかです。
いま新刊で買える版には入っていない作品
ブラック・ジャック「指」「植物人間」「快楽の座」
『ブラック・ジャック』は全243話のうち、この3話だけが、いま新刊で買えるどの版にも入っていません。最多収録の復刊ドットコム『ブラック・ジャック大全集』(全15巻)もこの3話を除いた収録です。復刊ドットコムの商品説明には、手塚プロダクションの意向で今後も単行本に収録する予定はないと書かれています。
事情は3話で違います。
- 第28話「指」(1974年):一度も単行本に入っていません。手塚治虫がのちに第227話「刻印」として描き直したため、完全な形の原稿は残っていないとされます
- 第41話「植物人間」(1974年):少年チャンピオン・コミックス(新書版)第4巻の、1977年頃までの刷には入っていました。その後の刷では第70話「からだが石に…」に差し替えられています
- 第58話「快楽の座」(1975年):一度も単行本に入っていません。精神外科の手術を題材にした話です
「植物人間」と「快楽の座」が外れた理由は、公式には説明されていません。背景としてよく挙げられるのは、1977年のロボトミー抗議です。第153話「ある監督の記録」で、脳性麻痺の患者への脳手術に「ロボトミー」の語を使いました。これに障害者団体などが抗議し、秋田書店と手塚治虫は非を認めて全国紙5紙に謝罪文を載せました。この話は、単行本で手術の場面を別の病気の手術に描き換え、「フィルムは二つあった」と改題して収録されています。
ただ、「植物人間」と「快楽の座」は脳の手術そのものが話の中心です。「ある監督の記録」のように手術の内容だけを差し替える描き直しができないので、収録そのものを見送った、とジャーナリストの安藤健二は『封印作品の謎』でみています。
「指」と「快楽の座」を読む方法は、掲載誌の『週刊少年チャンピオン』だけです。掲載誌は国立国会図書館が所蔵しており、館内で閲覧できます。「植物人間」は、新書版4巻の1977年頃までの刷でも読めます。
ライオンブックス「泥だらけの行進」
『週刊少年ジャンプ』に1971年から1973年まで月1回載った短編シリーズ『ライオンブックス』のうち、第18話の「泥だらけの行進」だけが単行本になっていません。手塚治虫公式サイトの作品ページにも「単行本未収録」と明記されています。
理由は公表されていません。読む方法は、掲載誌の『週刊少年ジャンプ』だけです。
長く読めなかったが、いまは読める作品
ながい窖(1970年)はなぜ読めなかったか
『サンデー毎日』1970年11月6日増刊号に載った約50ページの短編です。在日朝鮮人の出自を隠して帰化し、大企業の専務にまで上りつめた男が主人公です。出自が知られるのを恐れるあまり、事故死した娘の遺体を前にしても自分の娘ではないと言い張ってしまいます。その父に失望した息子は朝鮮学校へ移ります。
1972年に朝日ソノラマの短編集『空気の底』下巻に入ったのが最後で、その後は講談社の『手塚治虫漫画全集』にも入りませんでした。外された理由は明らかになっていません。2026年の復刻を告知した手塚治虫公式サイトの記事にも、理由は書かれていません。
2026年6月、法政大学出版局が原稿から再スキャンして復刻しました。定価2,200円(税込)で、漫画史や朝鮮半島の近現代史の専門家6人による解説80ページが付いています。発売直後に重版が決まりました。
この作品は、手塚治虫の短編の中でも読んでおくべき1本です。差別を受ける側が、自分を守るために身内まで切り捨てていく過程を、説教を挟まずに描いています。手塚治虫が差別を正面から描いた作品を探しているなら、まずこれを読んでください。
火の鳥・羽衣編と望郷編(COM連載版)
『火の鳥』は編によって、雑誌に載った形と単行本の形が大きく違います。とくに虫プロ商事の雑誌『COM』に載った羽衣編と望郷編は、長く単行本で読めませんでした。
羽衣編は、放射能の影響で生まれた子を殺そうとする場面の表現や作者の意向から、1980年に全文を書き直すまで単行本にならなかったとされます。COM版の望郷編は、その羽衣編の続きとして始まり、雑誌の休刊で未完のまま止まっています。いま一般に「望郷編」と呼ばれているのは、あとで『マンガ少年』に描き直した別の話です。
COM連載時の2編は、復刊ドットコムの『火の鳥《オリジナル版》復刻大全集』(2011〜2012年、全12巻)で読めます。雑誌の大きさのまま復刻したシリーズで、手塚治虫公式サイトのコラムによると全巻そろえると10万円近くになります。同じ中身を小さい判型にした『火の鳥《オリジナル版》』(2020〜2021年、全12巻)も出ており、読むだけならこちらで足ります。どちらも新刊では品切れのことがあります(2026年9月時点)。
ミッドナイト(1986〜1987年)
手塚治虫が週刊少年誌で描いた最後の連載で、単行本に入らなかった回が多い作品です。最終話も、手塚治虫の死後の1998年に秋田文庫版で初めて収録されました。
残っていた単行本未収録の11話は、2023年に立東舎が出した『ミッドナイト ロストエピソード』に入っています。ブラック・ジャックが登場する3話と、全67話分の扉絵も一緒に収録されています。
新寶島(1947年)
デビュー期の単行本です。手塚治虫は生前、この本の復刻を拒み、1984年の『手塚治虫漫画全集』には自分で全ページを描き直した版を入れました。描き直しの理由に挙げたのは次の3つです。
- 当時の原稿が失われていた
- 赤本の印刷は職人が手で写した版で、自分の絵ではない
- 共作者の酒井七馬の手が入っている
1947年の初版は、2009年に小学館クリエイティブが初めて正式に復刻しました。講談社の『手塚治虫文庫全集』には、描き直し版と『新寶島 オリジナル版』が別々の巻で入っています。
ブラック・ジャックの「封印回」と呼ばれる話(版を選べば読める)
先の3話以外にも、版によって入っていない話があります。いま手に入りやすい版で比べると、講談社の手塚治虫文庫全集(全12巻)には先の3話を含めて9話が入っていません。秋田文庫は、全17巻と別冊の『BLACK JACK Treasure Book』を合わせても8話が欠けています。
| 話 | 入っている版 |
|---|---|
| 第22話「血がとまらない」 | 新書版、大全集 |
| 第36話「しずむ女」 | 新書版、大全集 |
| 第76話「水頭症」 | 新書版、大全集 |
| 第128話「最後に残る者」 | 新書版、大全集 |
| 第139話「魔女裁判」 | 新書版、大全集 |
| 第171話「壁」 | 秋田文庫『BLACK JACK Treasure Book』、大全集 |
これらは「封印回」と呼ばれることがありますが、版を選べば読めます。全話に近い形で読みたいなら大全集が唯一の選択肢です。ただし新刊のセットは品切れのことがあります(2026年9月時点)。版ごとの違いは手塚治虫文庫全集と漫画全集の違いに表でまとめています。
断り書きを付けて出し続けている作品
封印と間違われやすいのが、差別表現を理由に一度出荷を止め、断り書きを付けて再開した作品です。
1990年、市民団体「黒人差別をなくす会」が『ジャングル大帝』などの黒人の描き方について出版各社に善処を求めました。同年末、手塚プロダクションは『手塚治虫漫画全集』の全巻を出荷停止にし、他社から出ていた手塚作品も、黒人が1コマでも描かれている本は一時止めました。止めた本は300数十冊に及びました。
手塚プロダクションと出版社は絶版を選ばず、巻末に「読者の皆様へ」という断り文を入れて1992年3月に出荷を再開しました。全集の巻末にある「読者の皆様へ」は、このときに入ったものです。
作品の中身はそのままなので、これらは封印作品ではありません。『ジャングル大帝』については、ライオン・キングとの関係をジャングル大帝とライオンキングのパクリ疑惑で書いています。
絶版の全集と未収録作品を読む方法
「手塚治虫 絶版」で調べる人が探しているのは、たいてい講談社の『手塚治虫漫画全集』(全400巻)です。1997年に完結した古い全集で、揃えるなら中古で探すことになります。ただ、中身は電子版と『手塚治虫文庫全集』(全200巻)で読めるので、読むためだけなら中古を追う必要はありません。
漫画全集に入らなかった初期作品は、文庫全集の『手塚治虫漫画全集未収録作品集』全3巻に入っています。第3巻には、戦中から戦後にかけて、デビュー前に描いた『オヤヂの宝島』が収められています。原稿が失われた作品は当時の雑誌を複写して載せているので、読みにくいページがあることは覚えておいてください。
どの本にも入っていない話を読む手段は、掲載誌しかありません。先に書いたとおり、国立国会図書館の館内で閲覧できます。古書で掲載号を探す前に、まず図書館で読めるか確かめてください。
封印や未収録と言われる作品には、暗い題材の話が多いのも事実です。どれが重いのか、どの版で読むのかは手塚治虫の怖い作品はどれかで順位を付けています。
