ばるぼら・奇子のあらすじ|手塚治虫の漫画、先に読むなら奇子

結論:先に読むなら『奇子』。『ばるぼら』は映画を見た人に

『ばるぼら』と『奇子(あやこ)』は、どちらも手塚治虫が1970年代前半に青年誌『ビッグコミック』で続けて連載した大人向けの作品です。続けて描かれたので並べて語られますが、中身は別物です。

『奇子』は、東北の大地主の一族が戦後に崩れていく家族の話です。筋がはっきりしていて、登場人物の思惑が最後まで絡み合います。手塚作品をあまり読んでいない人にも勧められるのはこちらです。

『ばるぼら』は、売れっ子の小説家が正体の分からない少女に振り回される幻想の話です。どこまでが現実か分からないまま進むので、筋を追いたい人には物足りません。2020年の映画を見て原作が気になった人、芸術家の話が好きな人なら、1冊で読み切れる長さなので手に取る価値があります。

ばるぼら奇子
連載1973〜1974年(ビッグコミック)1972〜1973年(ビッグコミック)
どんな話か小説家と、霊感を与える謎の少女の幻想劇土蔵に閉じ込められた少女と、地主一族の戦後史
長さ文庫全集で1巻文庫全集で2巻
読みやすさ筋より雰囲気。好みが分かれる筋がはっきりしていて、先が気になる
重さ性と狂気の場面が多い家の都合で子どもが幽閉される。近親間の性描写がある。読後に気持ちが沈む
映像化2020年に実写映画(R15+)公式サイトに映像化の記載なし。2019年に舞台化
向いている人映画を見た人、芸術家の話が好きな人重い家族劇や戦後史ものが読める人

『ばるぼら』はどんな話か

『ばるぼら』のあらすじ

主人公の美倉洋介(みくらようすけ)は、耽美的な作風で売れている人気小説家です。ある日、駅でフーテン(定職も家もなくぶらぶらしている若者)の少女ばるぼらを見つけ、家に置くようになります。ばるぼらは酒浸りで、いつも薄汚れていて、気まぐれです。それでも彼女が家に居着いてから、美倉の筆は冴えわたります。

公式サイトは大筋を「芸術家としての悩みを抱えながら、成功し、名声を得、それを失い、破滅する」とまとめています。

ここから先は結末に触れます。

美倉は、ばるぼらの母を名乗る骨董屋の女・ムネーモシュネーを通じて、黒魔術の世界に関わっていきます。ばるぼらと黒ミサの形で結婚式を挙げようとしたところへ警察が踏み込み、美倉は逮捕され、ばるぼらは姿を消します。

5年後、美倉は別の女性と結婚していますが、書けなくなっています。ばるぼららしき女性と再会した美倉は、彼女を連れて逃げ、山の別荘にこもって長編小説『ばるぼら』を書き上げます。その本は数年後にベストセラーになりますが、そのとき美倉がどこにいるのかは誰も知りません。

ばるぼらの正体は何か

公式サイトは、ばるぼらを美倉にとっての「詩をつかさどる女神ミューズのような存在」と説明しています。彼女に気に入られた芸術家は決まってよい作品を作って名声を得ますが、見捨てられれば必ず落ちぶれます。

ただ、本当にミューズなのか、ただの酔っぱらいの娘なのかは、最後まで決着がつきません。KADOKAWAの紹介文も「悪魔か、ミューズか、あるいは美倉のつくりだした幻影なのか?」と問いのまま書いています。ぴあの記事によると、手塚治虫自身も漫画全集版のあとがき(文庫全集にも収録)で、どこからどこまでが主人公の妄想の産物なのか分からない、と書いているそうです。

正体の答えを探して読む作品ではありません。霊感が来るときは来るし、去るときは去る。それを人の形にしたのがばるぼらだと読むと、話が通ります。

読む価値はあるか

読む価値はあります。ただし、手塚作品の1冊目には向きません。

良いところは、美倉という芸術家の描き方です。作品が売れることと、自分で納得できるものが書けることのあいだで揺れ続ける姿は、連載当時の手塚自身の状況と重なって見えます。公式年譜によると、連載中の1973年8月に虫プロ商事が、11月に虫プロダクションが倒産しています。

弱いところは、筋がつかみにくいことです。後半の5年後からは場面の飛び方が大きく、何が起きたのかを読み手が埋める必要があります。性的な場面や狂気の描写も多いので、軽く読める作品を探している人には勧めません。

『奇子』はどんな話か

『奇子』のあらすじ

舞台は青森県の架空の土地・淀山の大地主、天外(てんげ)家です。終戦後、次男の仁朗(じろう)は、GHQ(連合国軍総司令部)の命令で、地元の左翼政党の支部長を殺す事件に関わります。

奇子は天外家の末娘です。表向きは家長・作右衛門(さくえもん)の子ですが、実際は作右衛門が長男・市朗(いちろう)の嫁すえに生ませた子です。

仁朗が血のついたシャツを洗っているところを、幼い奇子と、天外家の小作人の娘・お涼が見てしまいます。仁朗はお涼を殺します。長男の市朗は、家から犯罪者を出して家名が汚れるのを恐れて、仁朗を逃がし、奇子を「死んだ」ことにして土蔵に閉じ込めると決めます。

奇子が外に出るのは、道路を通すために土蔵が壊されるときです。仁朗は東京で名前を変え、裏社会でのし上がっていました(講談社の紹介文では「実業家」)。外の世界を知らないまま大人になった奇子は、家を出てその仁朗のもとに身を寄せます。長年土蔵の中で暮らしたせいで、光を怖がる体になっていました。

物語には、国鉄の総裁が死んだ下山事件を思わせる「霜川事件」も出てきます。家の話だと思って読み始めると、途中から占領下の謀略の話が重なってきて、話の大きさに驚くはずです。

結末はここでは書きません。土蔵で始まった話が最後にどこへ行き着くかは、原作で確かめてください。

奇子は何歳で、何年閉じ込められたのか

閉じ込められた年齢と期間は、資料によって少し違います。

資料閉じ込められた年齢期間
公式サイトの作品ページ4歳20年
公式サイトのキャラクターページ5歳22年
講談社の文庫全集の紹介文4歳記載なし

どれに従っても、幼児のときに閉じ込められて、20年以上を土蔵で過ごしたことは変わりません。奇子が土蔵で過ごしたのは、日本が占領期を抜けて大きく変わっていく時期にあたります。外に出た奇子が戸惑うのはそのためです。

なぜ途中で終わったのか

『奇子』は、手塚治虫が予定していたより早く終わった作品です。公式サイトに抜粋されている全集のあとがきで、本人がそう書いています。

じつは、この物語はもっと長編の予定だったのです。それが、急に途中で終わったのは、やむを得ぬ事情によるもので、話がつまったとかいやになったわけではありません。

同じあとがきによると、最初はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のように、ひとつの家系の人間関係を戦後史の中で描きたかったそうです。奇子のその後の人生も、タイトルを変えてどこかで描きたいと書いていますが、手塚自身がその続きを発表した記録は、公式サイトの作品ページにもありません。

「やむを得ぬ事情」が何だったのかは、公式サイトに抜粋された範囲では明かされていません。連載時に描かれた別の結末7ページは、復刊ドットコムの《オリジナル版》(2018年)に収められています。

読む価値はあるか

読む価値は十分にあります。手塚治虫の大人向け作品の中でも、上位に入る1作です。

いちばんの読みどころは、悪人が一人ではないことです。幽閉を決めたのは長男ですが、一族の誰もそれを止めきれません。家の体面を守るという理屈が、子ども一人の人生を簡単に押しつぶしていく。その過程を、手塚は誰か一人を悪役にせずに描いています。

弱いところは、本人も認めているとおり、予定より早く畳んだ終盤です。もっと長く続くはずだった話を短く終わらせたので、後半は展開が速くなります。それでも、文庫全集で2巻という長さで、天外家の人たちと、事件を追う刑事の思惑を最後まで絡ませています。

読後に気持ちが沈む作品なので、疲れているときに読むのはやめてください。手塚作品のなかでの「きつさ」は、手塚治虫の怖い作品はどれかで順位をつけています。

どの版で読めるか

文庫全集・角川文庫・電子版は、どちらの作品もいま新刊で買えます。

版ばるぼら奇子特徴
手塚治虫文庫全集(講談社)全1巻(1,045円)全2巻(1,023円・990円)ほかの手塚作品と装丁を揃えられる。電子版もある
角川文庫全1巻(2019年版・1,034円)上下2巻(660円・649円)書店で見つけやすい
手塚治虫漫画全集(講談社)全2巻全3巻全集で揃えたい人向け
オリジナル版小学館クリエイティブ(2019年)復刊ドットコム・上下(2018年)連載当時の形で復刻。『奇子』は別の結末を収録
電子版(手塚プロダクション版)全2巻(各330円)全3巻(各330円)いちばん安く全部読める

紙の値段は講談社とKADOKAWAの定価、電子版の値段はBOOK☆WALKERの税込価格で、2026年10月15日に確かめたものです。

安く全部読みたいなら、電子の手塚プロダクション版です。『ばるぼら』は660円、『奇子』は990円で最後まで読めます。紙で安く揃えるなら角川文庫です。ほかの手塚作品も同じ装丁で揃えたいなら文庫全集を選んでください。連載当時の形で読みたい人だけ、オリジナル版を探す意味があります。

Kindle Unlimitedでは、2026年10月15日の時点で、どちらも手塚プロダクション版の第1巻だけが読み放題の対象です。『ばるぼら』は前半しか読めません。詳しくは手塚治虫のKindle Unlimited対象にまとめています。文庫全集と漫画全集のどちらを選ぶか迷ったら、手塚治虫文庫全集と漫画全集の違いを読んでみてください。

映画『ばるぼら』と舞台『奇子』

『ばるぼら』は2020年11月20日に実写映画が公開されました。監督は手塚治虫の長男の手塚眞で、美倉を稲垣吾郎、ばるぼらを二階堂ふみが演じています。R15+指定です。

原作との大きな違いは、時代を1970年代から現代に移したことです。映画.comの記事によると、手塚眞監督は、貧富の差や政府への批判の高まりを挙げて、いまは70年代と社会の空気が近いと話しています。舞台が現代になったぶん、1970年代の新宿の空気は原作でしか味わえません。配信先は手塚治虫アニメはどこで見れる?にまとめています。

『奇子』は、公式サイトの作品ページに映像化の記載がありません。2019年7月に東京・紀伊國屋ホールで舞台になり(水戸と大阪でも上演)、A.B.C-Zの五関晃一が次男の仁朗を演じました。

まとめ

『ばるぼら』は、売れっ子小説家が霊感の化身のような少女に振り回され、名声を得て、失う話です。正体の答えは最後まで出ないので、雰囲気を味わう作品として読んでください。

『奇子』は、家の体面のために土蔵に閉じ込められた少女と、戦後に崩れていく地主一族の話です。予定より早く終わったせいで終盤は急ぎ足ですが、それでも手塚の大人向け作品の中で上位に入ります。

どちらか1作なら、先に『奇子』を読んでください。2作とも読んで手塚の大人向け作品をもっと読みたくなったら、手塚治虫の漫画おすすめランキングから次の1冊を選べます。

参考